秋田でスポーツ文化を創造するプロバスケットボールクラブ

秋田プロバスケットボールクラブ株式会社 代表取締役社長 水野 勇気 様

Q.なぜ、プロバスケットボールクラブを立ち上げようと思ったのか?

高校時代からスポーツマネジメントに興味があり、高校卒業後、スポーツマネジメントを学ぶために米国に留学した。米国から帰国した後、秋田県の国際教養大学(AIU)に入学し、秋田と縁ができた。AIUの交換留学で、オーストラリアのグリフィス大学に1年間留学し、スポーツマネジメントを学んだ。

オーストラリアでは、ある程度の規模の都市には、クリケット、ラグビー、オージーフットボール、バスケ、サッカーなどのプロスポーツクラブがあり、地域の人々がスポーツを楽しむ文化があった。オーストラリア留学中に、「秋田にもプロスポーツクラブを創れないか?」と漠然と考えるようになった。せっかくスポーツマネジメントを学んでも、学んだことを何かに生かさないと意味がないと考えていたので、「秋田でプロスポーツクラブを立ち上げたい」と思い、能代工業高校があるように秋田ならバスケだろうということで、という決心をした。

Q.プロバスケットボールクラブをゼロから立ち上げるのは簡単ではなかったのでは?

2007年、湯沢市に同じようなことを考えている人がいたので、一緒に活動を始めた。しかしながら、活動の輪が、湯沢市から秋田全県になかなか広がっていかなかった。その当時bjリーグの新規参入チームとして応募したが、準備が整わず落選してしまった。多くの人から「秋田でプロバスケットボールクラブを立ち上げるなんて、出来るはずがない」と言われたが、それでもオーストラリアでプロスポーツクラブが地域に存在するというイメージが出来ていたので、「秋田でもできないはずがない」と考えていた。

また、プロバスケットボールクラブの年間運営費用は当時1~3億円と言われていたが、隣の山形県には、Jリーグのモンテディオ山形があり、年間運営費10億円以上でクラブが運営されていた。それと比較して考えても、秋田で年間運営費2億円程度のクラブを立ち上げることは決して不可能なことには思えなかった。

Q.プロバスケットボールクラブの立ち上げに向けて、どのような行動を起こしたのか?

まず、署名活動から始めた。数を集めることだけでなく、活動を知ってもらおうと考え、毎日、平日の夕方、二人で秋田駅前に立って署名活動を始めた。また、1億円の資本金を集めるために、事業計画書を作成し、出資をしてくれそうな経営者やベンチャーキャピタリストなどに会いに行った。更に、仙台、滋賀、埼玉などのプロバスケットボールクラブに足を運び、クラブ経営のノウハウを学ばせてもらった。とにかく出来ることから行動し続けた。

それから、プレシーズンゲームを秋田に誘致することができた。それによって、地元の皆さん、プロバスケットボールの魅力を伝えるプレゼンの場を作ることができたことは、一つの転機になった。室内でコンパクトに開催できるバスケットボールは、エンタテインメント性が高く、試合前の演出にもお金をかけた。スポンサーを募り、1000万円の予算を使ってプレシーズンゲームを開催し、たくさんのお客様に駆けつけてもらうことができた。

支援者を増やすために、更に行動し続けた。会う人会う人に、「どなたかご支援頂けそうな方は人いませんか?経営者を紹介して頂けませんか?」と言って周り、協力者を募っていった。

最初に大きく出資を決めてくれたのは、サノ・ファーマシーの佐野社長、イヤタカの北嶋社長、厚生ビル管理の加藤社長の三者だった。特に、北嶋社長にはプロバスケットボールの魅力を知ってもらうには観戦してもらうのが一番早いと思い、一緒に仙台の試合を見に行ってもらった。その結果、プロバスケットボールの魅力を体感して頂くことができた。その後、「秋田プロバスケットボールチームをつくる会」を立ち上げ、佐野社長には会長になって頂くことができた。

その後も、支援者の皆さんとミーティングを重ね、プレシーズンゲームを開催していく中で、「秋田出身ではない若者が、秋田のためにプロバスケットボールクラブを立ち上げようと奮闘している。みんなで応援しよう」という共感が広がり始めていったように感じる。

Q.資金調達はどのように進めたのか?

当初は、秋田県内の3社、㈱サノ・ファーマシー(ドラッグストア事業)、㈱イヤタカ(ブライダル事業)、厚生ビル管理㈱(ビルメンテナンス業)が1,250万円ずつ出資してくれた。この時に、支援者の皆さんから「お前が社長をやれ」と言われ、私が社長をやることになった。私が26歳の時だった。

実は、その当時、私は、スポーツマネジメントの仕事に携わりたかったが、別に社長をやりたくて始めた訳ではなかった。しかし、既に行政や企業など様々な関係者を巻き込んで進めていたので、今更できないとは言えなかった。ただ、もともと将来的には起業したいという気持ちがあったので、「まずは10年今のポジションでやれるように頑張ろう」と考え、とにかく結果を出そうとがむしゃらに動いていった。

さらに資本金が必要だったが、佐野会長が出資のお願いに同行してくれたり、様々な方々のご協力を頂きながら、資本金8000万円を集めることができた。株主は地元の企業を中心に30名近くになった。

2009年1月、運営母体となる「秋田プロバスケットボールクラブ株式会社」が設立され、同年6月、bjリーグへの新規参入が決定した。それから、ヘッドコーチや選手を集めてチーム作りをしながら、スポンサー集めも進めていった。並行して、仙台をはじめとする他チームにお世話になり、クラブ経営を勉強させて頂いた。こうして、2010年10月に、最初のシーズンがスタートした。

Q.どのようにして、他チームから学ばせてもらったのか?

秋田がbjリーグに参入した当時、bjリーグは16チームにまで増えていたので、学べるクラブはたくさんあった。仙台の役員の方のご自宅に泊まり込み、1週間インターンシップのような形で勉強させて頂いた。仙台以外にも全国のクラブに足を運んで勉強させてもらった。

Q.どのような苦労があったのか?

会社設立前は、手弁当でやっていたので、自分たちの生活が経済的に苦しかった。色々な方が、食事を食べさせてくれたり、お弁当作ってくれたり、お米や野菜を差し入れてくれたりした。この時に、人の有難みを知れたのは良かった。

Q.上手くいかないクラブもあるが、その理由は?

上手くいっていないクラブをたくさん見てきているが、最大の要因は、資金繰りにあると思う。資金繰りが上手くいかないと、「お金が回らない」⇒「人を雇えない」⇒「一人の業務が莫大になる」⇒「チケット売るマンパワーが不足する」⇒「お客様が集まらない」⇒「スポンサーが集まらない」という悪循環に陥ってしまう。プロバスケットボールクラブの経営は、赤字幅が1億円以上になるリスクがあるため、「どれだけの資金を集められるか?」はとても重要だ。

Q.8000万円の出資を獲得できた理由は?

出資者集めに関して言えば、一番は大切なのは熱意。熱意がなければ、出資者を集めることはできない。もう一つは大義。当社は、秋田の活性化を目的としてスタートしているため、その大義に対して地元の企業や人々から共感を得ることができた。

Q.今後のビジョンは?

チームとしての目標は、プロスポーツチームである以上、リーグ優勝して日本一になりたい。日本一になることができれば、アジアクラブバスケットボール選手権に出場することができ、世界への道が開かれる。

会社としての目標は、秋田の元気を生み出し、秋田に根付かせていきたい。しかしながら、秋田県は人口減少率が日本一高く、それだけでは限界があるため、全国にファンを増やしていきたい。全国にいる秋田出身者に、故郷のチームを応援して頂きたい。ふるさと会員、県外のファンを増やしていきたい。そこには大きな可能性がある。

また、現在の収益源はスポンサー収入、チケット収入がメインだが、秋田は大企業が少ないため、スポンサーを増やすのは簡単ではない。新たな収益源をどう確保するかは、今後の重要な課題である。従って、「秋田ノーザンハピネッツ」という地域の皆様に親しまれているブランドやコンテンツを、どのようにビジネスとして生かしていくか、を検討していきたい。

会社概要

会社名秋田プロバスケットボールクラブ株式会社
事業内容・プロスポーツチームの運営
・プロスポーツ選手のマネジメント
・スポーツイベントの企画・運営・主催など
代表者名水野 勇気
代表プロフィール東京都出身。国際教養大学卒業後、2008年6月、「秋田プロバスケットボールチームを作る会」を発足。2009年1月、秋田プロバスケットボール株式会社・代表取締役社長就任。
沿革2008年 「秋田プロバスケットボールチームをつくる会」を発足
2009年 秋田プロバスケットボールクラブ株式会社を設立
本社所在地〒010-0922
秋田県秋田市旭北栄町1-5 秋田県社会福祉会館 本館4階
URLhttp://www.northern-happinets.com